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クリスマスまでには・・・

1914~1918年にかけて行われた、
第一次世界大戦。

サラエボ事件を契機に戦争へと発展し、
ドイツ・イタリア・オーストリアなどの三国同盟、
イギリス・ロシア・フランスなどの三国協商、
その2つを中心に、
30ヶ国以上が参戦した、
初めての世界大戦である。

多くの人々は、
「クリスマスまでには」戦争が終わると思い、
楽観的な気持ちで戦地へ赴いた。
それまで、
戦争が長年にもわたって行われたケースがなかったのである。

しかし、
銃撃から身をよけるため、
塹壕を掘って戦いを進める塹壕戦に突入し、
戦争は長期化した。

ちなみに、
日本も日英同盟にともなって、
第一次世界大戦に参戦している。
ヨーロッパへは行かなかったが、
中国へ進出している。


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世界が認めた検疫

日清戦争後、
日本は大きな問題に直面した。
コレラなどの伝染病である。

戦争終結後、
続々と日本に帰国する兵達に、
検疫をして消毒をしなければ、
伝染病を日本に上陸させてしまう。

検疫部長を務める児玉源太郎は、
後藤新平を軍医の石黒忠悳(ただのり)から紹介された。
しかし後藤は乗り気ではなく、
「検疫には100万必要」と言い、
莫大な金額を言って児玉を諦めさせようとしたが、
児玉はそれに対し、
「150万出す」
と即答し後藤を承諾させた。

検疫所は、
似島、彦島、桜島の3箇所に設置したものの、
後藤の危惧は、
全員が検疫に応じるかであった。

そこで児玉が一案をし、
小松宮彰仁親王に検疫をするようすすめ、
親王がこれに応じ、
全ての軍人が検疫に応じることとなった。

検疫を受けた人数は約23万人にも及び、
検疫事業は大成功をおさめた。
欧米諸国は大いに驚き、
日本を称賛した。


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山本勘助の謎

山本勘助は、
大河ドラマ「風林火山」の主人公として、
その名を世に広めたことであろう。

山本勘助の名は、
武田家について書かれた『甲陽軍艦』に出てくるが、
『甲陽軍艦』は史料というより軍記物語としてとらえられ、
史料としての信用性が薄く、
山本勘助は実在しないとまで言われるようになっていった。

ところが、
1969年に『市河文書』によって、
「山本菅助」と記された書状が見つかり、
2008年には『真下家文書』によって、
同じく「山本菅助」のことを書いたものが見つかって、
山本勘助は実在の人物の可能性が出てきた。

ただ、
「山本菅助」という人物が実在したことは明らかになったが、
「山本菅助」と「山本勘助」が同一人物であるかまでは、
まだ明らかになっていない。


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