九十九髪茄子
1568年、
織田信長が足利義昭を奉じて上洛すると、
大和国にいた松永久秀は、
信長に従った。
久秀が信長に従った際、
贈った献上品が、
「九十九髪茄子」と呼ばれる、
唐渡りの茶入れであった。
「つくもなす」
と呼ばれるこの茶器は、
足利義満が愛用していたものであり、
その後、
山名政豊に渡り、
やがて村田珠光の手に渡って、
村田珠光は99貫文で買い求めたために、
「九十九」
「つくも」
と呼ばれるようになった。
さらに「九十九髪茄子」は、
点々と人の手に渡って、
松永久秀が入手したときは、
1000貫文で手に入れたとされている。
「九十九髪茄子」は、
本能寺の変にて焼けてしまったが、
なぜか豊臣秀吉の手に渡って大坂城にて保管され、
大坂の陣後は、
徳川家康が焼け跡から掘り起こして、
今日まで残っている。
栃木の城+α
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織田信長が足利義昭を奉じて上洛すると、
大和国にいた松永久秀は、
信長に従った。
久秀が信長に従った際、
贈った献上品が、
「九十九髪茄子」と呼ばれる、
唐渡りの茶入れであった。
「つくもなす」
と呼ばれるこの茶器は、
足利義満が愛用していたものであり、
その後、
山名政豊に渡り、
やがて村田珠光の手に渡って、
村田珠光は99貫文で買い求めたために、
「九十九」
「つくも」
と呼ばれるようになった。
さらに「九十九髪茄子」は、
点々と人の手に渡って、
松永久秀が入手したときは、
1000貫文で手に入れたとされている。
「九十九髪茄子」は、
本能寺の変にて焼けてしまったが、
なぜか豊臣秀吉の手に渡って大坂城にて保管され、
大坂の陣後は、
徳川家康が焼け跡から掘り起こして、
今日まで残っている。
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