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竹に雀

伊達家の家紋の1つに、
竹に雀紋がある。
伊達家といえば、
竹に雀紋というほど、
よく見られる家紋だ。

伊達家14代当主の稙宗は、
奥州守護に任じられて、
これをきっかけに、
積極的に近隣の家々と婚姻関係を結び、
伊達家の勢力を一気に拡大させた。

植宗はさらに、
三男の時宗丸を、
越後守護上杉定実の養子として送り込もうとした。
これに伴い、
時宗丸は定実から一字をもらって、
実元と名乗り、
上杉家の紋である竹に雀紋が与えられた。

ところが、
稙宗の子の晴宗が実元の養子に反対し、
父親と対立、
天文の乱が勃発した。

天文の乱の勃発により、
実元の養子の件はなくなり、
実元は伊達家に残ることになったが、
実元は竹に雀紋を用い、
宗家の伊達家もこれを用いることとなった。

ちなみに、
実元の子は、
伊達成実。


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意外な助勢

平将門の子孫と言われる、
奥州相馬氏。

相馬氏と伊達氏は、
50年の間に30回も戦ったというほど、
両者の仲は最悪であった。

関ヶ原の戦い前、
伊達政宗は上杉討伐に備えるために本国へ帰る際、
相馬領で一泊することを相馬氏に願い出た。

相馬義胤は、
宿敵である政宗がなぜ?
と疑いながらも承知し、
評定を開いてどうするかを決したところ、
少数でやって来ている政宗を討ってしまおうとなった。

ところが、
水谷胤重がそれをすれば相馬家の恥と言い、
胤重の意見が通った。
胤重は接待役を任され、
特に事も起らずに政宗は本国へと戻った。

関ヶ原の戦いで相馬氏は中立の立場であったが、
西軍に属した佐竹氏が、
常陸から秋田へ減額転封となると、
それに従って相馬氏も西軍に属したとみなされ、
領地没収となった。
そして、
佐竹氏とともに秋田へ移り、
佐竹氏の家臣として1万石を与えられたのである。

この処分に対し、
相馬氏は弁明につとめ、
所領を回復させようとするも効果がない。
するとそこに思わぬ人物が手をさしのべた。
政宗である。
政宗は相馬領で一泊した際、
もし相馬氏が西軍に属していれば、
自分を討ったはずだが、
それをしなかったのは西軍に属していない証拠、
と言って、
これによって相馬氏は領地没収から一転して本領安堵となり、
相馬氏は存続することとなった。


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