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若き大将

1333年、
鎌倉幕府が滅亡し、
後醍醐天皇が、
建武の新政を行うと、
北畠親房の長男、
北畠顕家は奥州多賀城へと向かった。

多賀城へ向かったとき顕家は、
まだ16歳という若さ。
このとき、
6歳の義良親王(後の後村上天皇)を奉じ、
奥州を統治することとなる。

やがて、
後醍醐天皇と足利尊氏が対立すると、
顕家は後醍醐天皇の命によって、
1335年に兵を挙げ、
翌年には尊氏を九州へと追いやった。

尊氏は九州にて勢力を盛り返し、
東上して京を占領すると、
後醍醐天皇は再び顕家に出兵の要請をする。

要請を受け入れた顕家は、
1338年に再度南下して、
足利軍と戦うも戦死した。
21歳という若さであった。


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