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無血開城の舞台裏

鳥羽・伏見の戦いに勝利した、
薩摩と長州を中心とする新政府軍は、
徳川慶喜を討つべく、
江戸に向けて出発した。

3月15日に決せられた江戸城総攻撃、
勝海舟は攻撃が行われた際、
江戸を火の海としてしまおうと行動に移した。
また、
英国公使のパークスと面談し、
慶喜が切腹されそうになった場合、
慶喜を英国へ亡命させる準備も整えていた。

3月13日と14日、
勝と西郷隆盛が会談し、
江戸城の無血開城が決まったのは有名な話であるが、
実はこれには裏がある。

会談の前、
西郷は江戸攻撃によって負傷兵が出た場合、
病院に収容してほしいとパークスに頼みこんだが、
パークスは難色を示した。
「すでに恭順している慶喜を討つことは、
万国公法に反するものであり、
英国は仏国とともに、
新政府軍を攻撃する」
と言われてしまった。

このパークスの言葉は非常に重く、
江戸城総攻撃を中止させた大きな理由の1つであった。


栃木の城+α

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